7月10日
皆さん、おはようございます。
今日は、四国八十八ヶ所巡りの本当の最後となる高野山参り。
実家で、朝4時に起床。
申し訳ない事に義姉が、朝早く起きてくれて朝食を用意してくれました。
感謝、合掌。
出発前に、空を見上げると大きな虹が架かっていました。
空が、私の四国八十八ヶ所巡りの最後の日を祝ってくれているのか、はたまた、ただの雨の降る前兆なのか?
高野山に向けて朝5時に出発です。
途中、子供の頃に数回お参りしたことのある、八幡神社にトイレに行きたくなったついでに寄ってみました。
有りましたね!
そう言えば、こんなデカイ杉の木。
この近辺では結構、有名な神社です。
さすが、高野山近くの集落です。
四国の田舎にも負けず劣らずの田舎っぷりです。
もうすぐ、高野山の麓近くにあるトンネルです。
私はトンネル内は空気が悪いし、走っている時によろけて歩道から車道に落ちたら危ないのでトンネル内は歩きです。
このトンネルは長さが1,100m程有るのだが、トンネルの真ん中辺りに来ると明かりが届かない場所があって暗闇のお化け屋敷の中を進むが如く歩かなければならないのでトンネルの中にいる時間が長く感じられました。
高野山の麓の麓で、このお店の左横から遍路道ではなく町石道に入ります。
高野山には、普通の方は電車の路線の和歌山線が走っている方角から(橋本、九度山、妙寺)向かいますが、私は実家の有る場所柄そっちの方ではなく違うルートを通ってます。
これから町石道に入るので、久しぶりに背中に南無大師遍照金剛と書いた白衣を着る。
久しぶりに着ると、何か嬉しい。
いきなり、クマ注意報です。
四国では、クマにもマムシにも会わなかったけれども。
私にとっては、クマもヤバイがこいつもヤバイ。
四国では、こいつに遭遇した事は有ったけれどデンジャラスな目には遭ってはいない。
こんな山道を走っていると、四国での山々を思い出します。
坂道自体は四国の山々の坂道の方が急でしたが、高野山の大門までの距離はかなり長いです。
さすが高野山!
木の倒れ方も尋常では有りません!
到着時間は9時45分。
高野山の大門です。
高野山の麓の町石道の入り口までは予想通りの時間で来れたのですが、町石道に入ってからは流石に山道、上り坂で思っていた以上に時間が掛かりました。
そして私は高野山で時間が有れば、せっかく高野山に来たのだから奥の院だけお参りして納経所で御朱印だけ貰って帰るのも勿体ないので、出来たら女人道などを探検しようと計画しておりました。
女人道[にょにんみち]
高野山は、明治5(1872)年に女人禁制が解かれるまで、 女性の入山を厳しく規制してきました。高野山への参詣道「高野七口」の各入口には、女性のための籠もり堂として女人堂が建てられていました。女性信者は御廟を拝みたいと女人堂から女人堂へ高野山を取り囲む八葉蓮華の峰々をたどったといわれ、この道を「女人道」と呼んでいます。
高野七口[こうやななくち]
高野山に至る信仰の道は、高野山町石道をはじめとして、高野街道京大坂道[こうやかいどうきょうおおさかみち]、黒河道[くろこみち]、大峰道[おおみねみち]、熊野古道小辺路[くまのこどうこへち]、相ノ浦道[あいのうらみち]、有田・龍神道[ありだ・りゅうじんみち]の7つの道があり、多方面から参拝者を導きました。高野山町石道の他にも高野街道京大阪道は江戸時代末期になると、利用者が多くなり、旅館や茶屋で賑わいました。道中には堺市の13里石から始まって不動坂口女人堂まで1里(約4km)ごとに里石(道標)が建っています。
大門、到着時間が9時45分。
時間的には高野山の山々を散策出来る時間は有りそうなので、さっそく大門に入る左横の弁天岳方面に向かう参拝道へ。
こんな鳥居が何十っ個とありました。
これは、高野山の麓から大門までの町石道より、かなり強敵そうです。
しかるに私は、四国の時の重いバックパックは背負ってない。
バックパックを背負ってない私は少々の坂は大丈夫です。
もちろん杖なんか要りません。
参拝道を進んでいくと、嶽弁財天社(だけのべんざいてんしゃ)の社が有りました。
嶽弁財天社の説明すると長過ぎるので、辞めます。
知りたい方は、こちらをどうど。
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嶽弁財天社に軽~くお参りして、また進んで行くと。
不動坂女人堂です。
お堂の中で参拝されてる方々は、どうやら女人道ツアーの方々だと思われます。
お遍路の歩きツアーや女人道の歩きツアーなど、今のご時世は何でもツアーとして成立するみたいです。
すいません!
四国八十八ヶ所巡り 高野山参り編を書いていたら馬鹿なぐらい長くなってしまいました。
何回かに分けます。
今回、走り進んだのは黄色の線と薄い青色の線でなどった部分です。
それでは、次回続きをボチボチ期待しといてて下さい。