9月15日
お久しぶりです。
当然、走ってはおりません。
腰の状態はだいぶ良くなって来ました。
腰を痛めてから6日経ちましたので、今日から、令シップから温シップに替えてみます。
久しぶりに、四国お遍路のお話します。
四国八十八ヶ所巡り6日目に出会った漫画家、黒崎一人さんが描いたマンガ55歳の地図を読まなくてはと思っていたのだが、昨日やっと読みました。
最初、買い物ついでに古本屋や書店に寄って捜したのですが、置いている店が無かったので、結局ネットの電子書籍で読む事に。
55歳の地図読んでいると、まず最初に感じる事は一言、
「なつかしい~!」
私が四国八十八ヶ所を回ったのは、ほんの3、4ヶ月前の事なのだが、もうずいぶん前の事の様に思えて記憶も薄れて来ている。
そして、四国回ってる時は、
「しんどかったけど楽しかったなあ~!」
そんな事を思いながら読みました。
55歳の地図の作者、黒崎一人さんがお遍路に行ったのは、2003年で16年も前の事なので、私が四国に行った今年とは時代も変わっていると思うので簡単に比較も出来ないですが、黒崎さんはお遍路の最初の頃はずいぶん苦労したみたいです。
そう言う私も、最初の頃はお遍路の右も左も分からないので、不安だらけの中で色々と苦労しましたけど。
私と黒崎さんの大きな違いは、黒崎さんは人生を半分以上諦めていた様なとこがあって、お遍路をするにあたって、これからの人生どう言うふうに生きて行くのかを探しに行く様な旅で、お遍路途中に野垂れ死んでもしょうがないと思いながらの旅でした。
実際、黒崎さんは遺書をもって四国に行ってました。
一方、私は挑戦したい!
八十八ヶ所を走って、回ってみたい!
もしかしたら今までも走ってお遍路した人が居たかも知れないが、そんなに多くはいないのでは?
どうせお遍路するなら、そんじょそこらの人が出来ない様なお遍路を!
そんな事を思って、始めたお遍路でした。
当然、私も人間ですので日々何らかの悩みを抱えて生きています。
ですので黒崎さんみたいな考えがゼロかと言うと、そうではありません。
やっぱり、お遍路する中でこれからの人生、どう言うふうに生きていくべきか?
また、人生の何かを悟れたら良いな的な事は思っていました。
黒崎さんのお遍路は、人生諦め半分が原因なのか私から見れば行き当たりばったりで、それが原因で苦労している様な所が多々あります。
まず、第一なんで11月の末からお遍路始めるんですか?
わたしは、寒いのが苦手なので冬の野宿お遍路なんてありえません。
それに冬のお遍路なんて、それだけで荷物が増えるでしょう?
それが原因で八十八ヶ所の最後の方の雲辺寺や大窪寺では雪や凍った道の中での三輪車を押してのお寺参りで苦労をするし、高野山参りでは大雪の中で死にかけるしで!
「もっと!下調べしてから次行ってくださいよ!」
そう、思う所ばっかりでした。
高野山なんて今はどうかは知りませんけど、20年前ぐらいは毎年冬場に何人か車の中で凍死者が出るような所ですよ!
地図も持たないでお遍路するし、そらなかなか目的地にもすんなり着けへんわな!
でも、そんな行き当たりばったりの旅だったからこそ色んな人に助けて貰ったり、また色んな人との出会いが有ったりで、人生的にも物語的にも有意義だったのでしょう。
私は1ヶ月、黒崎さんは2ヶ月で八十八ヶ所を回っているので、なんとも言えませんが、圧倒的に人との出会いは黒崎さんの方が多そうです。
まあ、私は地図もスマホも持っていたので、人に道を尋ねるとかお寺の場所を尋ねるとかは、まったくと言って良いほど有りませんでしたし、野宿する場所、民宿の場所も幾らかは歩き遍路専用の地図で知る事が出来ました。
しかし黒崎さんは、道に迷えば人に聞き、野宿場所が分からなければ人に聞きですので、自然と人との出会いが増えるはずです。
そう考えると、私のお遍路旅は人との出会いが少なかったのが、ちょっと残念ですね。
走ってる時も多かったので、歩いている人には声掛けられても、走っている人には声掛けにくいですしね。
まだ、55歳の地図の感想は続くのですが、長くなり過ぎたので一旦切ります。
続きは、次のブログ更新で。
それでは、腰の状態も良くなってきたのでボチボチ走りに行こうと思っています。
ボチボチですけどね。